喜劇なのか悲劇なのか、勤労感謝の日(防大バージョン)

いつもお仕事お疲れ様です。勤勉なあなたは毎年11月23日の勤労感謝の日に、御家族から慰労してもらっていることでしょう。防大にも、清掃やパシリとして働く1年生の日頃の働きに感謝するイベントがありました。今はもうなくなっているのでしょうね、多分。

「1年生の日頃の働きに感謝する」って言われても

それは、11月下旬のある日のことでした。いつも通り朝の点呼後に、自分の清掃担当の場所へ駆けて行くと、いつも監督係の2年生がいるはずの場所に4年生がいるではありませんか。頭の中は「?」と共に危険信号が点滅しました。

その瞬間、館内放送で3年生の声が…

「1学年諸君、いつも御苦労さまである。本日は君たちの日頃の勤労に感謝して、1年生と4年生の役割を入れ替えてさしあげよう。さぁ目の前にいる4年生に掃除道具を差し出し、清掃を始めさせなさい。尚、本日消灯までの間は君たちは4年生として振舞って欲しい、つまり敬礼する側ではなく、される側になるということである、1日を楽しんで欲しい。」

やはり頭はポカ~んとしたままでしたが、4年生に掃除道具を渡して掃除をやってしまわなければ、朝飯抜きになってしまいます。納得できないまま、かりそめの4年生としての1日が始まりました。

「日頃の働きに感謝して、4年生として振舞って良い」と言われても、ねぇ。清掃出来てないってやり直しさせるわけにもいきませんし、敬礼の手の角度やタイミングを注意するわけにもいきません。後々のことを考えると、悪い予感しかしないのです。

上級生は何だか楽しそうなのです

そんな私たちの心の中は、きっと全てお見通しなのでしょう。4年生はみんな楽しそうなのです。4年生だけではありません、2年生も3年生も上級生は皆、1年生を4年生扱いして敬礼したり、敬語を使ったりすることを楽しんでいるのです。

頼みもしないジュースを勝手に買ってきてくれたり。靴をピカピカに磨いてくれたりもするのです。もう、怖い怖い。

1年生の方も気は抜けません。いつもの習慣で、先に敬礼したり敬語を使ったりすると、4年生は「せっかくの遊びが台無しになるだろ!ちゃんと役割をこなせ!」って真顔になっちゃったりするのです。いやいや、1年生は楽しくないし、そもそも4年生扱いなんて望んでもいないです。

このままで終わるはずもなく

ごみである1年生が神様である4年生のフリしたって、疲れるだけです。どうにかこうにか1日が終わり、明日からまた慣れ親しんだ1年生としての生活に戻れることにホッとした消灯の直後。またもや、3年生の声がスピーカーから流れてくるではありませんか

「1学年諸君、本日はいかがであったであろうか。存分に楽しめたことと思う。我々も楽しませてもらった。さて、本日のお礼といっては何だが、そのままの格好で構わないので廊下に出てきて欲しい、以上」

「マジか?消灯したら終わりちゃうんか?廊下に出ろって、マジのやつやん!」と思うのですが、出ないわけにはいきません。覚悟を決めて廊下に出てみると、既に4年生はもちろん、2年生も3年生も全員、廊下で待ち構えていました。

この勤労感謝の日の夜に行われるお礼、中隊ごとにやることがバラバラでした。私たちの中隊では「まず、全裸になってもらおう。しかる後、中隊を1周すればそれで終了である」と言われ、素っ裸になって2フロア分の廊下を駆け抜けました。

もちろん、おとなしく通してくれるはずもなく。素早く走り抜けられないように、ソファ等で障害物を作ったりして妨害されるのはお約束です。でも私たちはこれで済んで幸せでした。

翌日以降に他中隊の1年生によれば、とても書けないような内容のこともあったと聞かされました。現在は女子学生もいますし、虐待だ何だと大問題になること必至ですので、のどかな時代だったのでしょう。

上級生にとっては喜劇、でも1年生にとっては悲劇でしかない「防大版勤労感謝の日」。この日のことは記憶から消去したいのですが、忘れられません。

では、また

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コメント

  1. ほーる より:

    笑いました。が、自分より年上や役職に指示・監督をする場合も時にはありますし、それの訓練の一環と思えばいい話かと。就職してから最初一番つらかったのは自分のオヤジくらいの年の人にアレコレ指示をするのがストレスでしたね。それまでの学生生活ならあり得ないシチュエーションを経験するのは貴重かも

    • 佐治 より:

      ほーる様:

      コメントありがとうございます
      確かに、良い経験ではありましたし
      私にとっては、喜劇でしかない一日でした