安全なのは当たり前、大切なのは安心してもらえるかどうか

車の運転をする、料理を作ってふるまう、建築の構造設計をする、どんなことでも安全を心がけるのは当たり前ですよね。自分が提供する側であれば、安全イコール安心だと感じることができます。大切なのは、提供を受ける側が安心できるかどうかなのです。

安全なのは当たり前

車を運転する時に、誰だって事故を起こす気で車の運転はしません。安全に運転することは、当たり前のことですよね。ところが安心に関しては、自分が運転する場合と、誰かの運転で助手席に乗っている場合で、感じ方が違う場合があります。

自分が運転者の場合は、ハンドル操作やアクセルとかブレーキの踏み具合による車の動きや、速度の範囲もあなたの制御できる範囲内で運転しているはずです。あなたが意図してやっていることなので安全運転を心掛ければ、あなた自信は安心できます。

助手席に乗っている場合はどうでしょう。運転している人は、あなたとはアクセルやブレーキのタイミングが違ったり、車間距離が近いと感じたり、急なハンドル操作で体が不安定になったりして、安心できなかった経験はありませんか。

運転している人の技術が信頼でき、安全運転を心がけていたとしても、ちょっとした違いで心から安心して助手席に座っているのが難しくなってしまいますよね。

あなたが運転し、助手席に誰かを乗せている場合も同じです。安全運転を心がけたからといって、隣に座った大切な人が安心できるとは限らないのです。

大切なのは安心できるかどうか

自分が運転する場合など、何かを提供する立場であれば、安全を確保するように心がけるのは当たり前のことです。大切なのは、助手席に座っている人(提供を受ける側)が安心できるかどうかなのです。

助手席に座って眠られると、運転する側からするとキツイものがありますが、寝てしまうぐらい安心してもらえてると考えれば、ムカついたりはしません。

逆に、助手席で背筋を伸ばして目を見開いて、心なしか肩に力が入っているようなら注意した方がいいです。車の運転だけでなく、いろいろな行動が独りよがりになってしまっている可能性があります。

免許取ってすぐのガキじゃあるまいし、必要以上にスピード上げたり、急加速や急ブレーキや急ハンドルで車体を揺らすことは、同乗者にとっては迷惑以外のなにものでもありません。揺りかごのようなジェントルな運転をしてこそ、大人ってやつです。

安心してもらえるかどうかは相手次第

どんな速度であっても、車間距離が近くても、アクセルやブレーキやハンドル操作が急であっても、自分で制御できる安全マージンの範囲内だから問題ない。安心できないのは、助手席に乗っているやつの運転技術が未熟だからだ、という人もいます。

私は、そんな人はアホやな~と思っていたのですが、最近は少し変わりました。残念で可哀そうな人だと思うようになったのです。自分と同程度のレベルの人としか付き合う経験がないまま、これまでやってきてしまったのだなと考えるようになりました。

自分の専門分野を専門外の人に説明する時は、相手の知識や経験のレベルに合わせて話をしないと、全く伝わりません。専門知識があることを前提にして、専門用語を並べて話すことで説明できている伝わっている気になってはダメなのです。

誰かを助手席に乗せて運転する時は、横に座っている人が安心できるように心がけて、十分以上の安全マージンを確保するように運転することが大切なのです。どう感じるかは、相手次第なのです。自己満足なら、ひとりで勝手にサーキットにでも行って走りましょう。

私の仕事である、建築の構造設計でも同じです。建築基準法という法律はあるものの、安全な建物を設計することは大前提ですが、それだけではダメなのです。安全は当たり前、安心できる建物だと感じてもらえるかどうかが大切なのです。

提供する側の専門家からすると、安全なのだから安心できて当たり前でしょう、と考えてしまいがちです。

提供を受ける側からすると、安全なのは分かったけど、なぜそれで安心できるのかが感覚的につかめないのです。

安心を感じてもらうことは手間のかかることですし、やり方や説明の方法に工夫が必要になります。それでも、提供する側のプロフェッショナルであるならば、安心してもらえるように心がけたいものですね。

では、また

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