お茶のお手前やお琴の演奏、劇やごっこ遊びを披露する保育園の生活発表会が終わりました。娘にとっては保育園最後、息子にとっては年少さんになって最初の生活発表会でしたが、直前にアクシデント発生。
娘が発表会前日の夕方、保育園で転んでアゴと唇のあいだを切るケガをしてしまったのです。
生活発表会前日の夕方にケガをしてしまった
そろそろ自分の仕事を切り上げて、子供たちを保育園に迎えに行く準備をしようと思っていた発表会前日の夕方5時過ぎ。少し携帯から離れている間にかかってきた電話に出られなかった直後に、カミさんから家の電話に連絡が入った。
「娘が転んで、サッシの枠に顔をぶつけてケガをしてしまった。これから病院に行くから保険証を持って来て!」とのこと。
急ぎ保育園へ行くと、ちょうど担任の先生が娘を連れて病院に向かうところでした。保育園での事故なので病院には担任が連れていくとのことで、私は息子をピックアップして後を追い病院へ向かいました。
「お姉ちゃんが、お姉ちゃんが~」と後部座席で泣いている息子をなだめながら、慌てて事故を起こさないよう、自分で自分を落ち着かせながら車を走らせました。
娘は病院で頑張ったけど、縫えなかった
診察が始まる直前に娘と担任の先生に合流し、改めて娘と対面。息子を担任の先生にお願いして、泣き続ける娘を抱っこして待つこと数分、救急の処置室での診察が始まりました。
かなり出血していたので縫合が必要だと覚悟はしていましたが、やはり救急の先生から「傷は短いけど深さがあるので出血が多い。2針ほど縫合すれば出血は抑えられるし治るのも早いので、できれば縫合したい」と言われました。
娘は頑張ろうとしました。でも、局部麻酔の注射の痛さにビックリしているところを、知らない看護師さんに両手両足と頭を押さえられ、知らない病院のお医者さんが針と糸を手にしている姿を見て怖くなってしまった気持ちに、耐えることはできませんでした。
私が看護師さんに呼ばれて再度入室した時、娘は処置室のベッドの上で泣きながら震えていました。いつもの小児科だったら、もしかしたら大丈夫だったのかもしれません。でもそこは一般の総合病院の救急、
小児科の先生や看護師さんのような、子供への配慮を求める方が無理なことは分かっています。
寝る前には出血もおさまって迎えた当日、娘は全てやり切りました。息子も頑張りましたよ。
頑張ったけど縫合することができず、傷口をテープで固定して治療は終了。出血や食事で汚れたガーゼの交換に備え、滅菌ガーゼとガーゼの上に貼るテープをドラッグストアで購入して帰宅しました。
夕食後に一度ガーゼを交換し、就寝前にもう一度ガーゼを交換しました。就寝前には何とか出血もおさまりましたが、痛みとケガをしたショックで娘はすぐに眠りに落ちました。
発表会当日の朝、娘に痛くて無理ならお休みしようかと確認したのですが「大丈夫、頑張ってやりたい!」との返事。朝食後にガーゼを交換し、念のため替えのガーゼを荷物に入れて発表会の会場へ娘と息子を連れて行きました。
痛そうな素振りを見せることなく、全力でやった娘
生活発表会の会場に到着すると、それまで痛そうにしていた娘の顔が少し変わりました。切り傷だけでなく、ぶつけた衝撃で下の前歯周辺の歯茎も腫れています。ズキズキした痛みは残っていたはずですが、気持ちの入ったイイ顔をしていました。
お琴の演奏に始まり、お茶のお手前や論語の暗誦、年長さんになってからの保育園生活をスライドを使っての振り返りと続く演目。時々、アゴの上のガーゼを気にするものの、娘は痛そうな素振りを見せることなくこなしていきました。
そして最後の演目、娘が一番仲の良いお友達と主役を演じたくて譲らなかった、不思議の国のアリスが始まりました。アリスを演じる娘は台詞も動きも多く、大変だったと思います。万全の状態で演じることができない悔しさもあったでしょう。
ある場面では、鍵盤ハーモニカをくわえるだけで痛かったはずなのに、痛そうな顔を見せずに頑張って演奏しました。今自分にできることを、全力でやり切った娘を尊敬します。
今までは、生活発表会で子供たちの成長を感じて微笑ましく思ったことはありましたが、娘の凄さを感じて心を動かされることはありませんでした。まさか生活発表会で涙するとは。
息子も成長しています
息子にとっても、前日に姉のケガというアクシデントで平常心で臨めたわけではなかったでしょう。けれど、息子も頑張りましたよ。
昨年は、舞台に立った時点で恥ずかしさが出てしまい、モジモジした演技しかできませんでしたが、今年は成長した姿を見せてくれました。
俳句の暗誦でも、桃太郎さんの劇でも、大きな声で元気よく演じることができました。生活発表会が近づくにつれて、家で毎日のように勝手に自主練していた成果を出せました。
生活発表会翌日に娘から告げられた言葉に、泣いてしまいました「この娘、すげぇな」
ケガに負けず生活発表会をやり切った娘、成長した姿を見せてくれた息子。生活発表会当日の夜は、撮影したビデオを子供たちと観賞し「よく頑張ったね」と褒めて、眠りにつきました。
そして翌日、娘から内緒話のように小さな声で告げられた言葉
「あのね。昨日、生活発表会から帰ってきてお父さんがお昼ご飯作っている間に、私はねんねする部屋の布団の中で少し泣いたの。痛かったけど頑張った自分を想って、泣いたの」
その言葉を聞いて「うん、そうか。よく頑張ったもんな」と言うのがやっとでした。すぐにタバコを吸うフリをしてその場を離れ、泣いてしまいました。
「何なんだこの娘は、すげぇな」と感じると同時に、なぜ隠れて泣いたのか。お父さんに涙を見せるのが恥ずかしかったのでしょうか。それとも涙を見せて心配させることが嫌だったのでしょうか。ひとりで泣きたい心境だっただけかもしれません。
それら全てかもしれないし、どれも間違っているのかもしれません。そこまで頑張れる娘は、正直に凄いなと思いますが、そこまで頑張らせてしまっているのは親である自分の至らなさが原因かもしれない。
6歳の子供が、頑張った自分を想ってひとり泣くなんて。私は、こみ上げてくるものを我慢できませんでした。グジグジ思い悩むヒマがあったら、思いっきりやってしまえ。そう娘に教えられているような気がします。
子供たちには教えられることばかりの、まだまだ情けない父親です。精進します。
では、また