憲法9条を素直に読めば、自衛隊は違憲でしょう

何だか、あちこちできな臭い状況になってきていますね。国内では、「2020年をめどに憲法改正したい」というニュースを耳にするようになりました。私自身は防衛大学校を中退した身として、自衛隊の違憲性を解消するための憲法改正については賛成です。

憲法9条を素直に読むと

以下は、日本国憲法第9条の引用です

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本国憲法 第9条

この憲法9条を素直に読むと

「戦争はしない」し「武力による威嚇や武力の行使もしない」し「戦力も持たない」、そもそも「交戦権」を認めない。

と私には読めます。憲法を制定していた時点では、完全に「戦争を放棄」していたのですね。「放棄させられた」という人もいますが、いつまでも「押しつけられた」とウジウジしていても仕方ないので、経緯はどうあれ自分達で制定したことは受け入れたいものです。

このように当初は、自衛隊のような軍事力を持つことを想定していなかった日本国憲法。ところが、戦後の冷戦によって日本をとりまく情勢の変化に対応するために、警察予備隊を経て自衛隊を作ることになりました。

この時点で、第9条に「自衛のための装備は例外である」という条項を追加しておけば、ややこしくならずに済んだのに。「戦力を持たない」「戦争をしない」という憲法のもとで、どう見ても軍事力でしかない自衛隊を抱えたまま50年以上が経ってしまいました。

自衛隊の違憲性は、これまでも議論されてきた

これまで、自衛隊が憲法違反かどうかが議論されて続けてきたことは、皆さんよく知っていることでしょう。以前は、革新系(左)は自衛隊は違憲、保守系(右)は自衛隊は合憲と完全に対立していました。

とろろが最近では、震災などの災害救助における自衛隊の活躍もあってか、革新系でも「違憲性はともかく、自衛隊は必要」と発言するようになってきています。時代が変わると、考え方も変わるものですね。

自衛隊の違憲性を解消するための憲法改正には賛成

私が防衛大学校に在籍していた当時の先輩や同期は、自分が幹部になろうとしている自衛隊が、「違憲の軍隊である」と言われることを自覚していました。それでも自分達がやらなければならないという使命感を持って、日々を過ごしていたように感じます。

災害救助で活躍できるのも、自分たちが軍隊であるという自覚を持って日々訓練しているからなのです。消防や警察、海上保安庁で間に合うならば自衛隊は不要でしょう。自衛隊だからこそ、できることがあることがあるのです。

私が自衛隊の違憲性を解消するための憲法改正に賛成する理由は、上記の先輩や同期に対する想いだけです。解釈次第で合憲であったり違憲であったりするような宙ぶらりんのままでなく、誰が見ても憲法上の問題がないといえるような改正には賛成です。

ずっと上記のように考えていました。ところが先日、憲法学者の木村草太さんが現代ビジネスに書かれた記事を読みました。この記事によると、憲法13条によって憲法9条の例外が認められているから自衛隊は違憲ではない、という解釈ができるそうです。

「憲法13条で9条の例外が認められる」のか

では、憲法第13条を見てみましょう。

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

日本国憲法 第13条

木村さんの記事を要約すると

憲法13条を素直に読めば、「犯罪やテロから国民を守ることはもちろん、外国からの武力攻撃でも国民の生命や自由を保護する義務が国にはある」と解釈できる。

さらに、「常識的に考えて外国からの侵略から国民を保護することは政府の最も基本的な任務だから、憲法13条が9条よりも優先すると」解釈できる。

内閣府の世論調査では多くの人が「自衛隊が必要」だと感じているけど、「憲法9条の改正が必要」と考えている人は少数だから、憲法13条で憲法9条の例外が認められていると考えることが「自然」。

と考えられるとのことです。

ちなみに木村さんは、個別的自衛権=自衛権(つまり自衛隊の存在)は合憲だけど、集団的自衛権の行使には憲法改正が必要だとも述べておられます。

憲法13条で9条の例外を認めるには無理があるのでは

おっしゃることは、よく分かります。でも、憲法9条で交戦権を否定されているのに、どうやって戦争するのでしょう。「自衛権」は憲法9条で否定されていないので、自衛のために行う行為は戦争ではなく問題はない、ということなのでしょうか。

「自衛権」はそりゃあるでしょう、ないと困りますしね。でも「交戦権」を認めていないなら、宣戦布告されても受けて立つことができません。

かつて経済やエネルギー確保のためという、「自衛のための戦争」をしてしまったのではないですか。今、東アジアで緊張が高まっている状況も、反対側から見れば「自分の国、自分の存在を守るための自衛のための手段」だと言えなくはないですか。

解釈で自衛隊を合憲とするくらいなら、きちんと憲法で存在を認めるべきです。「存在を認めて自衛のための軍事力は放棄しない、けれど自分達から外に出て行くことはない」ときっちり規定ずべきなのです。

9条の改正に賛成すると「戦争がしたいのか」とキーっとなる方がいます。そうじゃないのです。自衛隊ほどの装備を持つ実力組織を、解釈で運用していることの方が危険なのです。

戦争が起きない、起こさないように全力を尽くすことは当たり前です。そうでなくては、前の戦争で犠牲になった人々に申し訳がたちません。万が一のときに身動きがとれない自衛隊であれば、次の世代にも顔向けできません。

すぐに全部を変えようとするのは無理ですよね

2020までには憲法改正とか言って、憲法全体をガラガラポンして変えようとしても、そりゃあ無理です。あっちもこっちも変えようとすると、ある部分では賛成でも他の部分で反対なら「そんなに困ってないし、今のままで変えなくていいや」となってしまいます。

建築でいえば、再来年までにリフォームしようと言いながら、基礎や柱の位置から建物の高さまで全部変えた図面で検討しているようなものです。それは改修ではなくて、既存を撤去して新築するって言うのです。

今さら何を焦っているのでしょう。変える必要があると考えている条文を、1つずつ変えていくしかないです。最初が9条なのかどうかは分かりませんが、自衛隊の違憲性を解消するような改正ならば、私は賛成です。

憲法だって法律だって、しょせんは人間が作ったものです。お上から下りてきた絶対不可侵な存在ではないのです。条文が現実に合わなくなったら、条文を変えていくだけのものです。まさか「条文に合わせて現実を変えるんだ」っていう人は、こんな記事を最後まで読んだりしませんよね。

幹部自衛官を目指す人が、自虐的に「日陰ものでも構わない」と言ってしまうことは、やはり寂しいことです。堂々と胸を張って、国を守る職務に就いてもらえるようにしたいものです。

では、また

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コメント

  1. 小野寺清栄 より:

    私は自衛隊は9条に違反していると思います。個別的自衛権も認めていないと思います。犯罪者、テロが生じた時点で憲法13条に反しますから、自衛隊が合憲とされても、自衛隊は任務遂行できなかったということになるでしょう。何故犯罪が生まれるか、何故テロが生まれるかの総合的研究を進め、それを外交に生かして犯罪者やテロから国民を守っていくのが良いと思います。

    • 佐治 より:

      小野寺様
       コメントありがとうございます

      自衛隊に対する考え方
      国を守るということに対する考え方
      そもそも国って何?

      人それぞれで色々な考え方があると思います

      私と、全てが同じ考え方ではないでしょうが
      小野寺様のご意見も理解できます

      ひとりひとりが
      次の世代にどのようなバトンを渡したいのかを
      考え、行動するしかないのかな

      と思っています

      記事を読んで頂き、更にコメントまで
      本当にありがとうございました