夢枕獏「上弦の月を喰べる獅子」に救われました

ハードカバーで572ページの2段組み、夢枕獏さんによる重量級の小説であります。第10回日本SF大賞の受賞作でSFというジャンルに分けられておりますが、SFとしては異端な部類の作品でございます。そんなアウトサイダーなSF作品に、若かりし頃のわたくしは救われていたのであります。

あらすじ

これは、天についての物語である。

中略

この物語は、二重の構造を持った螺旋の物語である。

中略

これは進化についての物語である。
同時に、宇宙についての物語である。

p554~あとがき「次の螺旋の輪廻りのために」より抜粋

あとがきに相当する「次の螺旋の輪廻(めぐり)のために」で獏さんが語られているように、この物語は遺伝子DNAの二重螺旋の構造をもった物語なのであります。

獏さんによると

創作の初期段階で、本全体が二重螺旋の構造となるように章の配置やねじれの創出をすることから始められております。本全体の構造を決めてしまってから、その中に物語をぶち込んでいくという試みをされているのであります。

カメラマンの三島草平は、戦場で爆撃に巻き込まれたときに飛んできた石片が脳内に残ってしまうのです。それ以来、三島は螺旋の幻視するようになり、二荒ビルという超高層ビルで幻の螺旋階段に足を踏み入れ、異空間へ取り込まれてしまうのです。

宮沢賢治は、若い頃に二荒山で見つけたオウム貝の化石の幻影に心を奪われてしまいます。病に倒れたとき、もう一度だけ会いたい想いにかられて、二荒山のオウム貝の化石の前まで歩いた後、オウム貝の螺旋に引き込まれてしまうのです。

場所も時代も違う宮沢賢治と三島草平。三島は螺旋階段をどこまでも登り、賢治はオウム貝の螺旋をどこまでも潜り、やがて蘇迷桜(スメール)という異世界でひとつになった姿で、浜辺に打ち上げられてしまうのであります。

蘇迷桜(スメール)という異世界はひとつの大きな山の形状をしているのであります。来魚と呼ばれる生き物が海から陸に上がり、進化しながら山の頂上へを目指している世界でございます。

頂上には獅子宮という混沌がございます。頂上には人間にまで進化した来魚が世代をかさねて生活しております。獅子宮には2つの「問い」があり、その問いに来魚から進化した如来が答えてしまうと蘇迷桜(スメール)が滅びてしまうと信じられております。

この物語は、宮沢賢治と三島草平がひとつになったアシュヴィンという主人公が、須弥山の形状をした蘇迷桜(スメール)を登り、「問い」に答える物語なのであります。夢枕獏という作家の宇宙観や仏教観に、どっぷりと触れることのできる作品でございます。

この本との出会い、何度も救われました

わたくしがこの物語に出会ったのは10代後半でありました。初版で手にした記憶がございますので、17歳のころでありましょう。地元の本屋で平積みになっているのを、たまたま目にしたのであります。

何に惹かれたのでありましょう。表紙の装丁でしょうか、帯に書かれたメッセージでありましょうか。とにかく、手にとって購入してしまったのであります。高校生当時のわたくしにとって2500円の小説は高額でございましたが、迷うことは少なかったと記憶しております。

今では、よく買ったものだと感じております。ハードカバーで2段組み。手元にある新明解国語辞典(第4版)と、厚さがほとんど変わりません。何を感じとって、高校生のわたくしはこの本を手にしたのでございましょう。縁であるとしか、いいようのないものを感じてしまいます。

私にとってこの本は、夢枕獏という作家に出会った最初の作品でもありました。当時、夢枕獏といえば「伝奇バイオレンス」というイメージが一般的でございました。後に、夢枕獏作品の読者の方とお会いした際に「また、変わった作品から獏さんの世界に入ったね」と言われたものでございます。

この物語は、「あなたは何者ですか?」という青臭いともとれる問いに、真正面から挑戦した作品であります。獏さんは「この物語から逃げない」と決められたそうでございます。その言葉どおり、エネルギーの詰まった小説であります。

わたくしは、この作品に何度も救われたものでございます。初めて読んでから10年ほどは、年に1度は読みかえす本となったのでございます。具体的な言葉で救われたわけではございません。この物語が持つエネルギーに、熱量に何度も救われたのでございます。

この物語に書かれている内容が正しいとか、間違っているとかは関係ないのでございます。夢枕獏という作家にこの作品で出会えたことは、わたくしにとって幸せなことでございました。

「どんな方におすすめできるのか」と問われると困ってしまうのですが、神林長平さんであるとか山田正紀さんがお好きな方であれば、おすすめしても大丈夫な物語でございます。

では、また

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