初めて会う人に「実は防衛大学校を中退した経歴がある」と言うと、「辞めたことを後悔していないのか?」と聞かれることがあります。私自身は、防大を辞めたことや辞めた時期に全く後悔はありませんし、防大に進んだことにも後悔はありません。
防衛大学校に行った時間が無駄だったと思わないのか
「辞めるのだったら、最初から行かなきゃいいのに。そこで過ごした時間がもったいないとは思わないの?」と言われたこともあります。
防大に進んだことについても、全く後悔していません。行っていた時間が無駄だったとも思っていません。そもそも防大に進んだ理由が、幹部自衛官になりたいという純粋な動機ではなかったのです。
高校時代に受験勉強の目的を見失ってしまい、勉強に身が入らなかった。結果として、東京の私立と防大にしか合格することができませんでした。東京の私立は経済的には難しいと考え、浪人するか防大に進むかの選択が残った。
当時のふがいない自分では浪人してもダメだと自覚していたので、厳しいといわれる防大に行けば何か変われるのではないか、という思いで防大に進むことを決めました。
自衛官になるつもりも、ならないつもりも無かったのです。とにかく、今とは全く違った厳しい環境に身を置けば、ふにゃふにゃした情けない自分が変われるかもしれないという淡い期待で防大に進みました。
結果として変われた、というかバージョンアップした自分を取り戻すことができました。辞める時期が中途半端ですが、あの時期まで防大にいたからこそ見えた景色があり、得ることができたものがあります。無駄な時間だったとは全く思っていません。
辞める時期がもっと早ければ良かったと思わないのか
私が中退したのは1年生の12月。一番早い人なら4月2日には防大を去って行きます。4月以降に辞める人は、ほぼ夏の7月までに防大を去ります。夏までに中退すれば、その年の受験には何とか間に合わせることもできたでしょう。
「12月まで在校したせいで2浪相当になってしまったことは、無駄な1年の浪人だったとは思わないのか」と言われたこともあります。
浪人していた1年は実家にも戻らず、受験勉強しかしていませんでした。目標に向かって余計なものを捨て全力を出し切る、という経験をすることができたのです。全く無駄な1年だとは思っていません。
そもそも、防大に入った当初は「何だここは!」というカルチャーショックから始まったのです。宿舎での生活はアホみたいにしんどいし、講義はやたら難しいし、ごちゃごちゃ考えている余裕はありませんでした。全力を出し切る毎日でした。
最初のしんどい時期に自分で決めたことがあります。「このしんどい時期には絶対に逃げ出さない。この先どうするのか考えるのは、しんどい時期を乗り越えることができた時に考えることにする」ということを決意しました。
肉体的にも精神的にも、しんどい時期は過ぎたと感じたのは、夏休み明けの9月になってからです。9月を過ぎてからやっと、「本当に自分は幹部自衛官として生きていくのか?この先どうする、どうしたいんだ」と自分に問いかけるようになりました。
私には、先輩や同級生が抱いているような国防への意識があまりに薄く「このまま幹部自衛官になる道は自分の進む道ではない」と、退校の決心ができたのがやっと12月だったのです。
夏前に辞めるという選択肢は自分の中にはなく。心を決めるまで3カ月かかったけど、その時の私にはそれだけの時間が必要だったのです。辞めた時期についても、全く後悔を感じたことはありません。
中退したことを本当に後悔していないのか
防大を中退した経歴を知ると、御親切な方々が色々なことを言ってくれます。「だから、後悔なんてしていませんって」と言えるはずもなく、こんな感じで答えています。
幹部自衛官への道に未練はなかったのか
防大を辞めず、幹部候補生学校に進んで自衛隊に入れば幹部自衛官となります。一般的な自衛官の方であれば、ごく一部の人が定年直前で到達する階級からのスタートです。
私が防大に進んだ時、自衛官に「なるつもり」も「ならないつもり」もありませんでした。そんな状態で入校し、先輩や同級生が明確に幹部自衛官を志望している姿を見てきました。私は職業軍人にはなれない、自分の道ではないと感じたのです。
幹部自衛官への道に未練なんてあるはずないです。「違憲の軍隊と言われようとも、日陰モノであったとしても、誇り高く国防を担う覚悟がある」と本気で考えているような人達です。本当に尊敬します、私には無理でした。
安定した職業キャリアや収入を捨てたことに後悔はないのか
自衛隊といえども公務員です。安定した職業キャリアや収入がほぼ約束されていると言っていいでしょう。「防大を辞めなければ、安定していたのに。バカなの?」という意味のことを言われたこともあります。
安定を求める人には、私のとった行動は頭が悪いとしか言いようがないのでしょう。でも、そんなんで楽しいの?と逆に聞きたいですが、節度ある人としてこんな感じて答えています。
確かに安定はしているかもしれない。けれど一旦ことが起きれば、部下の命を危険にさらすような命令を下す必要があるかもしれない。自分の命であれば、必要と思うなら危険にさらすことはできるかもしれない。けれど、私には部下の命を背負う覚悟はなかった。
生活とか収入とかではなく、生命をかけることになる命令を下す覚悟を持つことができるかどうか、といことなのです。「無理だ」と感じてしまった私は甘い、という批判は当然だと思いますが、できないものはできないのです。
安定とかそういう問題じゃないのですから、後悔なんてするはずありません。
防大を辞めずにいたら、今より良い人生だったとは思わないのか
「防大を辞めず幹部自衛官になっていたら、今よりも地位も名誉も収入も高く、より良い人生だったとは思わないのか。もったいないと後悔していないのか」と言われたこともあります。
「うっさいな~。俺の人生なんだから放っておいてくれ、あんたに何にも関係ないやん」とは口が裂けても言えません。こんな感じで答えています。
私は防大に進んだことも、中退したことも後悔していません。あの時期あの場所を経験できたからこそ、今の私があると感じています。でこぼこで、遠回りでブサイクな人生に見えるかもしれませんが、悪くない道を歩んできたと感じています。
防大に進んだから経験できたこと、出会えた人、見えた景色があります。
防大を中退したから、進めた大学があります。その大学で更に色々な経験ができ、素晴らしい同期と先輩や先生に出会えました。
防大を中退し大学に入り直したからこそ、構造設計を志すものとしては最高レベルに属する会社に入社することができました。その会社に入ったからこそ、カミさんとの出会いがありました。
入った会社で体調を崩し病気退職したからこそ、少しは人に優しくなれた気がします。
高い収入とか地位とか安定は、まだまだ手に入れることはできていませんが、どうにかこうにか生きています。やりたいこと、挑戦していることもあります。不満が全くないわけじゃないですが、誰かのせいにしたり、過去の自分を後悔している程ヒマじゃありません。
今、こうやって少しでも前に進もうとできている。昨日よりも今日、今日よりも明日は少しでも成長していたいと思い続けられている。
全てが、防大に進んで中退したことのおかげだと感じています。他人におすすめできるような道ではありませんが、私自身にとっては悪くはない道なのです。これから先も、今までと同じように、振り返り愛おしいと思うことはあっても、後悔しないように進んでいきたい。
これが、防衛大学校に進み、中退して得た最大のものです。
では、また
コメント
はじめまして。
私は、防大39期入校で、第一学年で中退した者です。(第四大隊、第一中隊、第二小隊だったかな?)
最近、防大の頃の事を懐かしく思い出す事が多くなりました。
今後も、ブログを拝見させていただきます!
ひろむん様:
コメントありがとうございます
私と同じ39期、第一学年での中退組なのですね
私は第1大隊でしたので
直接的な交流は少なかったでしょうが
どこかですれ違っていた可能性はありますね
在校当時のことを思い出しながら書いており
ひろむん様の御記憶とは異なる部分もあるかと思いますが
ぬる~い目で見てやって下さい
コメント頂きまして
本当にありがとうございました
1986年入校し、同じく12がつに辞めました。324小隊です。校友会は少林寺拳法部でした。遠泳と試肝会が懐かしいです。
ガッツリ様:
コメントありがとうございます
先輩に記事を読んで頂けるのは光栄ですが
少し緊張しますね
懐かしさを感じて頂けたのであれば
書き手冥利につきます
どうぞ、ゆる~い目で見てやってください
記事を読んで、コメントまで頂きましたこと
重ねて、お礼申し上げます
現在、週刊サンデーで連載中の「あおざくら」でしか、防大生活を知らない私がコメントします。
あなたが防大入学を後悔しない、失敗ではないと考えるのはそれでいいと思います。
ですが、やはり防大はあやふやな気持ちで入る場所ではなかったと思います。なにせ官費で国防のために若者(十代から自衛官な子も含め)を教育する機関ですから。
「あおざくら」では防大生活の後期、つまりあなたが辞めた後にさらに大変になるとのことが説明されています。あなたは高くなるハードルを前に退いたのです。
ただ、それは恥ではありません。人にはそれぞれの居場所というものがありますので。幹部自衛官になればベターだったという人もいると思うけど、その職業は意識面でも選ばれし者がつくのでしょう。