努力が必ず報われるとは限らない、向いてないなら新しいことに挑戦したらいい

「努力は必ず報われる」と考えると、努力した時間やエネルギーを無駄にしたくなくなるのが人情です。本当は適正のない分野であってもしがみついたり、新しいことにチャレンジすることを躊躇したりするくらいなら、「向いてなかった」と諦めることも1つの考え方です。

努力する姿は美しく見える

努力する姿は美しく見えます。甲子園を目指す高校球児の姿や、発表会のためにピアノの練習に励む子供の姿は確かに美しいものです。

ですが、「努力は必ず報われる」と考えることには違和感があります。違和感というか、説明が足りていないのではないでしょうか。はじめの一歩の鴨川会長も言っていましたね

努力が必ず報われるとは限らん!

じゃが、成功したものはすべからく努力している

成功した人が努力しているのは、それをすることが当然であると思っているからやっていることで、本人は努力しているという意識を持っていないことが多いです。やっていることが努力だと思う時点で、成功からは遠かったりするのです。

きちんとしたコーチや先生、師匠の下で、方向性を間違わず、自分に適正のある分野で努力することが、成功するためには必須です。適正のない分野で、見当違いの方向の努力をしても成功する可能性が低いのは当然ですよね。

努力した結果、成功に至らない場合だってあります。むしろ失敗する人の方が多いでしょう。失敗はチャンスです。何が問題だったのか、どうすれば改善できるのか、違う切り口や分野では勝負できないのか。検証して再起するヒントが埋まっています。

ですが、努力した結果にとらわれ過ぎると、失敗に向き合うチャンスを逃してしまいます。

努力した結果にとらわれ過ぎるのはダメ

呼び方はどうであれ、努力しないで何事かを成せるほどの天才ではない凡人なのだから、何かを成そうとか、成りたい自分になるために努力を重ねることは必要です。ただし、努力した結果にとらわれ過ぎるのは良くないです。

結果にとらわれ過ぎて、「あれだけ努力したのに結果がダメだった、自分はダメな人間なんだ。」と過剰に落ち込む必要はありません。「努力した時間やエネルギーを無駄にしたくないので、同じ方向性で努力する量を増やす」といった変な方向に走るのもマズいですね。

目標に向かって努力している時は、やっていることを信じて突き進めばいい。だけど、自分の望んだ結果が出なかった時は、冷静に結果を受け入れることが大切です。

やっていた努力は間違っていなかったのか、自分の適性にあったやり方なのか、その分野で真正面から勝負する適正が自分にあるのか。盲目的に信じてやってきたことを、突き放して考えて見ることも重要です。

向き不向きだってある

その分野への向き不向きだってあるでしょう。適正がない分野で努力して失敗したからといって、人としてダメなのではありません。単に向いていなかっただけです。

どんな分野でもそうですが、正攻法の真正面から勝負できる人は限られています。どんなに努力しても真正面から勝負したら勝てそうにない相手、上には上がいるのです。

では、そんな時はどうしますか。きっぱりと諦めるのも選択の1つです。「向いてなかった」と区切りをつけて、新しいことにチャレンジした方が良い場合だってあります。

努力した結果、失敗しても得るものはある

努力した結果が失敗に終わったとしても、得るものはあります。何かを成そうとして、ある時期に集中して持てる力を全て注いだ経験は、かけがえのない財産です。

勉強でもいい、スポーツでもいい、楽器や芸術の分野でもいいのです。何かに集中して取り組んだ経験があれば、その心構えは他のことに応用できます。失敗を受け入れ成功する人を見れば、成功するために何が必要なのか見えてくるはずです。

失敗した経験を次に活かして成功すれば、失敗すらも成功のためのステップになるのです。

失敗しても、新しいことに挑戦すればいい

何かを成そうとして、何者かに成ろうとして失敗しても大丈夫です。次に新しいことにチャレンジできれば、それでいいのです。

何度も挑戦を続ければいい。挑戦を続けていれば、あなたに向いている適正のある分野や、やり方がきっと見つかります。失敗しても命まで取られることは、めったにありません。何度でも失敗して構わないのです。

お互い、いつまでも挑戦し続けたいですね。

では、また

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