「手とり足とり教わらないと出来ない」って、ただの言い訳でしょ

当たり前の話ですが、私は「自分は何でも出来る」とは思っていません。出来ることの方が少ないとすら思っています。それでも、何かを出来るようになりたいと思った時に、避けて通れない部分があることだけは心に留めています。

それは、「自分でやってみないと、絶対に出来るようにならない」ということです。

私は、最初は必要最小限のことしか教えません

時間的に切羽詰まっていない状況で、私が何かを初心者に教える場合。最初は、必要最小限のことしか教えません。パソコン初心者であれば、電源のONとOFFやGoogle先生での検索のやり方、キーボードでの文字入力のやり方などの本当に基本的なことだけ伝えます。

仕事上で急を要する場合は、教えなくても出来ることしか任せないか、後で全部やり直すことを覚悟して詳細にレクチャーして任せるかのどちらかになります。

なぜ?必要最小限のことしか教えないのか。

それは、全くの初心者に細かい部分まで教えても意味が無いと考えているからです。パソコン初心者に、エクセルの関数を教えても混乱するだけです。まずは、パソコンに触れることの抵抗をなくすために起動と終了の手順と、ネット検索の方法くらいでちょうどいいのです。

手足を動かそう、脳みそに汗をかこう

必要最小限のことを教えた後は、とりあえずやってみてから様子を見ます。このとき、漠然と「出来たらいいな~」と思っている場合は、ほぼ自分でやりません。例えば「パソコン出来るようになりたい」とか言っている場合、パソコンで何をしたいのかが自分で分かっていないので、翌日には起動すらしていなかったりします。これじゃあダメなんです。

必要最小限の知識はもう持っているはずです。その知識を自分のものとして体得するために、繰り返し自分でやってみないと、自分のやりたいことは見えてきません。パソコンでも、自転車でも、構造設計でも何だって同じです。最初から完璧に出来ると思ってるの?もしかして自分で「天才」だと思ってます?

手足を動かして、ぶつかったり転んだりしながら試行錯誤を繰り返し、自分事として考えて脳みそに汗をかかないと、やりたいことなんて見えてきません。

やりたいことが出来ることは目的ではなく、手段です。自転車に乗れるようになることが目的ではなく、乗れるようになった自転車で行きたい場所があったり、風を感じたりしたいから自転車に乗りたいんでしょ?

くだらないプライドは捨てよう

自分でやってみると、出来ないことや分からないことがいっぱいあるはずです。「こんなことを聞くのは恥ずかしい」とか、「もしかしてバカにされるんじゃないかな」とかウジウジ考えてる暇があったら聞きましょう。

「そんなことも分からないの?」とか「それは前に教えたよね?」と言われる場合もあるでしょう。そんなことを言われるとプライドが傷つきますか?だったら、くだらないプライドは捨てましょう。バカの振りして聞けばいいんです。

そのかわり、教わったことのメモすらしないで、同じことを何度も聞くのは出来るだけ避けた方がよいです。本当にやる気があるのか疑われます。それでも忘れることだってあるでしょう、そんな時はやはりバカになって聞いちゃえばいいんです。

やりたいことがあるなら、やってみればいいだけ

やりたいこと、出来るようになりたいことがあるなら、やってみればいいだけです。いい歳をした大人が「手とり足とり教えてもらえないから、出来ない」って、ただの言い訳にしか聞こえません。

「天は自ら助くるものを助く」と言います。天の神様だって自分で努力しないと助けてくれないのです。私はあなたの親じゃない。最初のとっかかりは教えた、その先は反復して自分の手を動かしてからなのです。

うだうだ言ってる間に、少しずつでもやりましょう。

では、また

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