最初の会社を病気で退職してから再就職まで

新卒で入社した会社で自律神経失調症を患い、在籍5年ちょっとで病気退職してから再就職するまでの間のことを書こうと思います。今ではそれなりに貴重な経験だったのかな?と思える部分もあるのですが、当時はドン底にいる気分で迷走していました。

退職後しばらくは休養

体調万全でフリーになったのではなく、逆に体調最悪に近い状況で自由の身になってしまいました。何かを始めるにはエネルギーが全然不足していて、とりあえずは休養をとることしかできませんでした。

2週間程は故郷に帰ったのかな?その頃も今も続いている実家の商店があるので、その時点で故郷に引き上げるという選択肢もありました。実際、経済的な面や健康面で考えれば家族と共に生活した方が現実的ではあることは理解はしていました。

が、結局は独り暮らしをする神戸での生活に戻りました。理由は2つ

1つは、私の性格にあります。自分の性格を涵養してきた大きな要因の1つである故郷での生活、その環境に体調不良のまま戻るということは、たとえ体調が良くなったとしても元に戻るだけだと思ったからです。

これは、退職直前まで受けていたカウンセリングを通じて見えた事です。自律神経を病むまで自分を追い込む性格を少しゆる~くするには、今までの自分を変えないとダメなのです。自分が育った環境に戻るということは、慣れ親しんだ今までの自分に戻ることにつながってしまいます。それでは何のためにこの病気になったのか、こんなに苦しんで結局変われないのでは意味が無い、と思い神戸に戻りました。

もう1つの理由は、まだ自分自身の勝負は出来ていないと感じていたからです。他人から見れば「この時点で勝負あり、はい負け~」なのでしょうが、自分自身には関係ありませんでした。何とか体調を戻して、改めてチャレンジしたいと感じていました。

大学時代の友人の紹介で個人事務所に勤務

これからどうしよう?と不安を抱えつつ、毎日「今日の調子はどうだろう」と自分と向き合いながら過ごしていました。

そんな時、大学の同期から電話があり

「個人の構造設計事務所をやってる人から、経験者で誰か来てくれそうな人がいないか探してるって言われて、行ってみる気ある?」

と声をかけてもらいました。正直、まだ万全な体調とは言えない状態でしたが「とりあえず行ってみよう、ダメならまたチャレンジすればいい」と考え、お話を受けることにしました。

行ってみると、所長、所員1名、学生バイト2名、事務のおばちゃんの個人事務所でした。それまで使っていたのと違う構造設計ソフトやCADに戸惑いながら何とか頑張っていたのですが、やはり体調が戻っておらず勤務することが無理な状況となってしまいました。

せっかく声かけてもらって辛抱強く使ってもらったのに、結局大した戦力にならずに4ヶ月程で個人事務所を去りました。所長と合わなかったとかではなく、体調が戻っていないまま勤務を始めてしまい、単純に時期尚早だったのだと思います。

選挙の手伝いや派遣のバイトもやりました

またしてもフリーの身になってしまいましたが、今度はあまり焦りはありませんでした。焦って構造設計の世界へ戻るよりはじっくり体調を整えていこう、と思うようになっていました。

はたから見たら暇そうに見えたのでしょう、友人から「知り合いが選挙に出るのだけど、秘書的な立ち位置の人が必要で探してるんだけど、手伝ってもらえないかな?」と打診があり、全く知らない世界だけど信用できる友人からの話だったので受けました。

自分自身が政治の世界に関わることはありませんが、その世界の人達が何をどのように考え行動しているのかを見聞きできたことは良かったと思っています。結果として、お手伝いしていた人は落選してしまいましたが…まぁこればっかりは仕方ないですね

ぼ~っと日々過ごしているだけでも干上がってしまうので、派遣バイトなどにも登録し、体調が上向いた時には日雇いの派遣バイトに出かけたりしていました。深夜の冷蔵倉庫で、某牛丼チェーンの配送仕分けのバイトなんかやってました。

なぜ再就職したのか?できたのか?

いろいろ迷走しながらもゆっくりとではありますが体調もだいぶ安定してくるようになったのは、最初の会社を退職してから1年半程してからでした。これなら無理をしなければ大丈夫だと自分で感じられるようになって、構造設計の仕事を探し始めました。

とはいえ、経歴としては最初の会社の5年強で、しかも半分は休職期間という中途入社希望者にすぐにマッチする会社があるとは思っていませんでした。当時はパソコンも手放し、スマホなんて無い時代でしたので、ネットカフェで就職・転職サイトに登録して会社を探していました。

1ヶ月程して、何社かエントリー出来そうな会社を見つけることができたので、応募しました。その中で、私でも名前を知っている組織事務所があったのですが、さすがにそんな有名事務所じゃ書類でアウトだろうって、全く期待せずにエントリーしてました。

ところが、その組織事務所から「とりあえず話を聞きたいのですが、来社可能ですか?」と驚きの電話がありました。最初は人事部長と面接したのですが、面接っていうより面談でした。最初の会社で病気になったこと、その時の働き方、退職に至る経緯など全て話しました。

その後、日を改めて所属する事になる部署の部長と室長の面接がありました。こちらも採用試験の面接というより、やはり面談に近い雰囲気でした。業務で経験した内容、使えるソフトや技量について、実際的な内容の話ばかりでした。

結局、採用試験の類のものもなく、役員面接すらしないまま、とりあえずは契約社員として採用したい旨を伝えられました。契約社員でも何でも、構造設計の現場に戻れるなら否も応もありませんでした。社員になることが目標ではなく、終身雇用を望んでいるわけでもなく、ただ構造設計を中途半端なまま離れられないという点のみフォーカスしていました。

実は私が中途採用で再就職できたのには裏話があります。その事務所は、私の入る数年前に構造設計と設備設計の部門を分社化して別組織とし、別の設計事務所からも構造と設備の仕事を受けていけるような多角化を試みていました。元々はその事務所に入りたくて新卒で入社していた構造設計と設備設計の社員達は、半ば強制的に残る人と別組織に異動させられる人に分けられてしまいました。その分け方に不満を持つ人も少なくなく、貴重な人材の多くが会社を去ってしまったのです。

人材が決定的に不足して1年弱の時期に私がエントリーしたわけですが、会社にとっては何でもいいから経験者が欲しい状況であったのです。全盛期には20人弱は在籍していた構造設計部門ですが、私の入った当時は産休中の方を含めて4人しかいませんでした。会社にとっても渡りに船って感じの採用だったようです。まぁ契約社員ですから使えなきゃ契約延長しなきゃいいだけですしね。

そんな運に恵まれて再就職することができましたが、入社してすぐの感想は「何で社員200人規模の設計事務所の構造部門が4人で回ってるんだ?最初にいた会社は大阪の設計部だけで400人規模、構造はそのうち60人弱だったぞ。こりゃヤバイかも」でした。

この時から、この会社での私の不良サラリーマン生活は決まっていたのかもしれません。

では、また。

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