防衛大学校の学生隊組織
防大は全寮制、しかも平日は学外への外出すら不可という閉鎖空間での生活となります。自虐的に「小原台少年院」と呼んでいました。
防大の寮生活は下記のような学生隊という組織で編成されています
学生隊 | 構成 | 学生舎 |
大隊 | 全部で4大隊 | 4大隊が8棟に分かれて生活 |
中隊 | 4中隊で1大隊 | 1中隊で2フロア |
小隊 | 3小隊で1中隊 | 小隊ごとにまとまってブロックを形成 |
入校式が終わって、本当の防大生としての生活が始まった時、まずは一番小さな「小隊」の中が寮生活の出発点となります。
初めての寮生活
高校まで親元で生活していたので、防大で初めての寮生活を体験しました。私の時代は同学年同士で1つの部屋に2人~4人の相部屋で、私は福岡県出身のY君との2人部屋でした。
全くの赤の他人と初めてほぼ24時間一緒に生活することに最初はかなりとまどいました。同室のY君は、「防大に入ってヘリコプターパイロットになりたい」という目標を持って入校してきており、私のように何となく入校してきた奴とは意識が全く違っていました。
更に、当たり前ですが育って来た環境や考え方が全く違います。当時お互い19歳、血気盛んな時期でもあり、自分と違うものをすんなり受け入れるような行儀良さ、おとなしさは持ち合わせていませんでした。自然とぶつかり合うことが多くありました。
また、防大の特性として連帯責任というやつがあります。相手がヘマをすると自分にも火の粉が降りかかってくることもしばしばです。自分一人がきちんと出来ていればOKなどとは言ってられない状況でもあります。
例えば自室の掃除。2人で協力して自室の掃除をするのですが、掃除完了後に4年生のチェックが入ります。この4年生のチェック、「おまえは小姑か!」と突っ込みたくようなチェックのやり方で隅々まで白手袋で触っていき、少しでも手袋が汚れると「出来てねぇじゃねぇか!」と叱責され掃除のやり直しです。当たり前に2人の責任ですが、お互いの分担した部分は分かっているので、責任をなすり合いたくなる気持ちにもなります。
4月の半ば頃には、同じ小隊の別の1年生の部屋も私たちと同じような感じで、良好とは言えない状況になっていました。
私たちの小隊1年生がとった対策
そこで、私たちの小隊の1年生がとった対策は
消灯後に1年生誰かの部屋に集合して、その部屋の同室同士でお互いへの本音を言い合う。それを他の1年生が客観的に聞き、助言や批判を行い小隊1年生みんなで共有する。
という方法でした。これを提案したのは、浪人して入校してきた同期の誰かだったように記憶しています。この年頃の1、2年の差はまだ大きく、事に及んでの余裕も彼らの方があったように思います。
他にも有効な方法はあるのかもしれませんが、結果としてこの方法は良かったと思っています。始めた当初は、お互いの許せない部分を攻撃しあうという疲弊するだけの集まりの様相でした。それでも何度か続けて、他の1年生の意見を聞くうちに徐々にお互いを認め合う事ができるようになりました。全面的に受け入れて肯定するって事ではなく、お互い違うということを認識した上で共同生活を送るためにどうするのが良いのかを考えることができるようになっていました。
お互いを認めることの難しさ
相手を批判・否定し、自分の主張を押しつけるのは実は簡単です。本音をさらけ出し、違うことを認識し、お互いを高めていくことは苦痛を伴います。やっている時はしんどかったけど、結果として同室、小隊の結束は固くなり、やった甲斐はあったと感じました。
自分の要求のみを押しつけるのではなく、相手の考えや状況も受け入れ、かつ自分の主張のコアな部分を外さないように折り合う部分を見つける作業は、今でも私の役に立っています。
嫌われたら、嫌な顔をされたらどうしようと思う気持ちは分かります。だからといって遠慮ばかりしていては、お互いの関係は深くはなりません。思い切ってどう思っているのか聞いてみるのが一番です。自分が本当に思っていることをぶつけないと、相手の本音も分かるはずは無いのです。言わなくても分かってもらえる、伝わるってのは、相手が自分の親ならまだしも、甘えてるだけなのです。と過去の自分に言ってやりたい。
同室のY君、結局は体調を崩してしまいました。夏期訓練期間中(7月)に退校してしまいました。ベタベタした仲良しって関係ではなく、適度な緊張感を持った良い関係を築けたと思います、Y君ありがとう