入校式も済んで、晴れて防衛大学校の学生となった1年生。お客様の時間は終わって、真の防大生としての生活が始まります。入校式までに50人以上が既に防大を去り、更に4月中に同程度の人数が防大を辞めていきます。何故なのでしょうか?その答えのひとつが今回の記事で見えてきます。
防大の学生には序列がある
防大の1年生から4年生には明確な序列が存在します。
4年生=神様:絶対的な存在です
3年生=人間:神を意識せず生きています
2年生=奴隷:神の御加護があらんことを祈って生きてます
1年生=ごみ:蹴散らされる存在です
体育会系のクラブであれば同様な呼び方の序列があるでしょうが、防大の場合は生活全般に及ぶところが一般の大学とは違います。朝起きてから寝るまで、授業を受ける教室以外の場所では、常に上級生を意識して生活しています。
非人道的だと思うと思いますが、現実です。これでも私が在籍した当時(1991年)は体罰(鉄拳制裁)は全面的に禁止されており、「昔に比べると緩くなった」と上級生には言われました。
殴られることは無かったですが、暗黙の了解があり、ミスをして叱責を受けると上級生から「分かってるな、姿勢とれ」と言われ、もちろん「はい!」と言って腕立て伏せが開始されていました。少ない時で30回、多くなると100回以上で出来なくなるまで続きます。
4月の4年生は本当に怖い
この4月の時期の4年生は本当に怖いです。「4年生は神様だ」と言われても、1年生にとっては自分の部屋長以外の4年生は全て敵で、鬼にしか思えません。まさに鬼神のごとく恐れていました。
寮の廊下を歩いていて4年生とすれ違うと、ほぼ必ず叱責を受けます。ただ歩いているだけでなぜ?と思いますが、「何だその敬礼は!」とか「今、目を見てなかっただろう!」とか、「靴が汚れている!」「服装が乱れている」「挨拶の声が小さい!」「お前の顔が気に入らない」と何でもかんでも叱られます。
同部屋のY君と私は自室から出る回数をなるべく減らすべく、お互いの用事をメモに書き上げてジャンケンをして外に出たりしていました。とにかく廊下を歩くことすら嫌だったのです。
朝の点呼では「集合が遅い!」と叱られ、部屋に戻ると「ベッドの片付けがなっていない!」と毛布とシーツは散乱し、授業から部屋に戻ると「机の上が整理出来ていない!」と部屋のものが窓から投げられたりしていました。全て神様4年生のお仕事です。
なぜ私は4月で辞めなかったのか?
それほどまでに怖くて嫌なのに、私は何故4月で辞めてしまわなかったのか?それは逃げる方が嫌だったからです。こんなところで負けず嫌いを出さなくてもよさそうなものですが、それでも厳しい状況から逃げ出すことを自分自身に許さない頑固さで何とか生きていました。
防大では現役自衛官が指導教官として各小隊、中隊、大隊に付くのですが、小隊指導教官の1慰(昔でいう大尉)に7月頃、「お前は4月頃に比べると丸くなったなぁ~。あのころは、絶対に負けるかってギラギラしてたもんな~」と笑いながら言われました。
職業軍人になりたくて防大に行ったわけではなかったのですが、辞めるにしても、厳しいと自分が感じているうちは絶対に辞めることは考えまいと決めていました。
これはイジメではない、ふるいにかけられているのです
何だかイジメのように見えます。実際、自分が体験している時は「4年生は何て嫌な生き物なんだ!自分は絶対こんな理不尽な上級生にはならんぞ」と思っていました。このようなシゴキ(orシバキ?)が続いた結果、4月の間に更に50人程度が防大を去りました。
それでもこれはイジメではありません。この時期の4年生が神様ではなく鬼神であるのは、1年生から見るからそのように見えるのではなく、4年生自身が鬼神を演じている面があるのです。中には本当にイジメをするようなカスな4年生もいると思いますが、全体から見ればごく少数です。
この時期に4年生が鬼神のごとく振る舞うのは、今後の防大生としてその先の幹部自衛官として大切な資質のひとつである忍耐力によるふるい分けを行っているからなのです。命令によって自らが戦地に赴く、もしくは部下を戦地に送らなければならない状況も出てくる可能性もあります。
そんな時に、自分が辛いからとか心が痛むからとかいう理由で躊躇していると部隊として機能しなくなります。感じる心は残しつつも、自分の気持ちを押し殺してでも状況に適応した行動を求められます。
ましてや当時はまだ防衛庁、自衛隊は日陰の存在でした。上級生は皆、「自分たちが日陰の存在なのは分かっている。けど、自分たちのような役割を担う人間は絶対に必要だと思う」と感じていたようです。違憲だと言われる自衛隊、その幹部となれば堪え忍ばなければならない事も多くあることは承知の上なのです。
私は職業軍人にはなれない(自分の職業としては違う)という結論を出し、この後12月に防大を去りました。自分には国防の任を背負う覚悟が無かった、ただ軟弱な自分を変えたくて飛び込んだ場所です。
自分には出来なかった防大での4年間の生活を終えた同期や先輩が自衛官として活躍されている姿を見聞きすると、尊敬の念が浮かびます。
にしても、本当に怖かった~
防大辞めた後、「防大辞めたのが夢で、実はまだあの4月の時点にいる」っていう夢を見て夜中に飛び起きた事が長年続きましたからね。よっぽど残ってたんでしょう。
では、また