葬式や法事で法外な金額を要求するようなお寺は要らない

お盆が近づいてきました。お墓参りはちゃんと行ってますか?我が家の菩提寺は、家から車で5分程のところにあり、付き合いの古いお寺さんです。お寺さんとの関係は概ね良好ですが、田舎でも色々なお寺があるようで、嫌な思いをしている檀家の人の話を聞く機会がUターン以降に増えました。

法外な金額を要求するお寺は存在します

うちの近所でも葬式や法事で法外な金額を要求されて憤慨している人がいます。葬式での読経+戒名+初七日の法要でコミコミ100万とか、納骨の法事で50万以上とか、始めてのお彼岸が近いからお供え(お布施)を持って来いだとか…

中には、この程度かな~と出したものを「これじゃぁ、ちょっと…」と突き返されてしまったなんて話もあります。じゃあ幾らならいいか聞くと「○○家に恥ずかしくない程度にされればよろしいのでは」ときます。「いやいや全然恥ずかしくないし、最初の分で」ってとても言えないので、泣く泣く増額して出しているみたいです。

そもそも定価なんて無くて、完全にお寺の言い値に翻弄され疲弊してしまってます。檀家は住職の家の財布ちゃうぞ!出されたもん突き返すって、どんな性根してんねん!って言えばよいのに。先祖代々のお墓を置いている手前、特に田舎ではそんなこと普通はなかなか言えません。

言えばいいのに。狭くて濃い人間関係の中で生きていると、まっとうなことも言えないような空気になってしまうのでしょうね。

信心と金額は関係無いでしょ

今年の春にアマゾンが取り扱いを始めた「株式会社みんれび」の通称「お坊さん便」。これに対する公益社団法人「全日本仏教会」の抗議の中で、「読経や戒名などは商品ではなく宗教行為なので定価を提示するのはなじまない」という内容がありました。頭沸いてるの?

宗教行為であって定価が無く、檀家の方の気持ちをお布施として出して欲しいのであれば、出されたものを突き返すなんてあり得ないでしょ?法事で何十万も要求されるくらいなら、喜んでアマゾンの「お坊さん便」にお願いするわ。

信心とお布施の金額って関係ないでしょ。怪しい新興宗教じゃぁあるまいし、お布施の額で信心を計るようなことしてるお寺さんがあるから「お坊さん便」が話題になったりするんでしょ。自業自得やん。

良心的な金額でお葬式に来てくれるお寺さんもあります

当たり前ですが、金満なお寺さんばかりではありません。良心的な金額でお葬式に来てくれるお寺さんも存在します。良心的っていうか、逆に本当に大丈夫かってくらい安い金額だったりするので驚きます。

田舎に実家と菩提寺があって、墓守りを親の代がやっている人も多くいると思います。墓参りに帰郷した時にでもお寺さんとの関係を確認しておいた方が良いですよ。いざ自分が担う番になった時にびっくりしないように。

高額なお布施するのが嫌なら、思い切って檀家を辞めてお墓をつぶして、永代供養をしてくれる施設に入れてもらうこともできます。定年後も田舎に戻る気が無いのであれば、こちらの方が現実的な対応になってくるのでしょうね。

生きている側の折り合いの付け方でしかない

お墓や仏壇もそうだけど、葬式や法事も同じで、しょせんは生きている側=生き残った側の人の心の折り合いを付けるための儀式や装置でしかないと思っています。

ほめられた信仰心ではないかもしれませんが、故人はしょせん故人です。彼岸から此岸がどのように見え、認識できているのかは知りようがありませんが、此岸から彼岸は見えません。見つめることができるのは生きている自分の中にいる故人、その人から影響を受けた自分自身を見つめるしかないでしょ。

お墓や仏壇に手を合わせるのは、自分の中の故人との対話の1つの形でしかありません。世間体や見栄のためにやっているわけじゃないのです。もっと言うと、自分の中に故人がいれば、故人の影響を自覚して背筋を伸ばす自分がいれば、お墓や仏壇なんて無くったって平気でしょ。

日々こんなこと考えてるわけにもいかないと思いますが、お盆くらいは自分と先祖やお寺さんとの関係に思いをはせてもバチは当たらないのでは?

では、また

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