管理人の佐治です
1972年生まれ
カミさん、娘、息子とじいさん、ばあさんの6人家族です
幼少期~高校時代
幼稚園から高校まで徒歩圏内の公立で過ごしました
幼少期は
よくしゃべるけど泣き虫で、坊主頭の肥満気味
近所のお兄ちゃん達の後ろを追いかけて遊んでばかりのガキでした
小学校2年生の時に、柔道教室に入り週2回の稽古が中学3年まで続く
高学年になって、水泳、陸上競技共に市の大会で上位入賞する程には運動能力が開花
児童会活動などにも積極的に参加する
中学校では、未経験ながら野球部に所属(卒業まで補欠のヘタッピでした)
中2までは生徒会活動に参加するなど積極的に前に出ていましたが
中3以降、前に出るのを止めるようになりました
地元の公立高校に入学
部活には所属せず、お勉強に生きるはずでしたが
「人生の意味は何だ?」などという
一歩間違えると、かなり危ない方向に思考を持っていかれてしまい
迷い、もがきながら大学受験に臨むことになりました
防大~浪人時代
私立と防衛大学校にしか合格できず
東京の私立大学に行く余裕は無く
そのまま浪人しても勉強に身が入らないことは自覚していたので
何かが変わるだろうと、防衛大学校に入校するも
やっぱ職業軍人にはなれないと思いなおし、9ヶ月で退校
浪人生となって受験勉強を再始動
大学生時代
何とか建築系の学科に入学し
野球サークルとバイト、大学の製図室をぐるぐる移動しながら大学院まで在籍
建築の道に憧れて選んだ大学であったが、建築設計のデキル同級生のレベルの高さに驚き
元々、数学とか物理とかに拒否反応はなかったので
彼らと建築の世界で勝負できる土俵として、構造設計者となる道を選ぶ
サラリーマン時代
何を間違ったか、大手建設会社に構造設計職能として就職できてしまったものの
2年目の冬:原因不明の体調不良に悩まされるようになり
4年目の春:限界に達し休職、診断名は自律神経失調症
今では、休職中は全力でボーッとして休まないとダメだったな~と思えるけど
当時は、あせって復職→体調悪くなり、また休職→あせって復職、を繰り返し
結局、6年目(2004年)の秋に休職期間を使い切って自動的に退職
退職後、しばらく治療に専念し体調もまずまず快復した頃に
建築の仕事でもう一度だけ勝負してみようと思い、運良く中規模の設計事務所に入社できた
体調が良くない時は無理をせず、有給でも病欠でも使えるものは使って休み
体調が良い時は、全力で仕事をこなす
という働き方を勝手に適用していたので、使う側からしたら「不良サラリーマン」であったと思います
2006年から2013年の7年間在籍し様々なプロジェクトに参加することができ、自分なりに充実したサラリーマン生活ではあったけど、体調の好不調の波も大きく、このままずっと勤めるのは厳しいとは感じていました
Uターン~現在
子育て環境や自分自身の体調その他を考え、当然カミさんとも相談して、設計事務所を退職し、故郷の岡山へUターン
実家のよろず屋(田舎のコンビニ)の配達などを手伝いつつ、前職の設計事務所の外注仕事も請け負いつつ、兼業主夫やってます
故郷とはいえ、20数年ぶりの田舎生活なので、移住に近い感覚で日々過ごしています
よろしくお願いします